元某大学テニス部コーチブログ

学生テニスプレーヤーへ

部活の「声出し」は本当に必要か。その意味を考えろ。時には部の常識を疑え。

部活の声出しの意味とは?

 

これは部活に限ったことではないかもしれませんが、特に大学体育会の現役生にとってOB/OGの影響は大きいものです。

 

その年の幹部が何かを変える時、特にそれが伝統に近い部の慣習であればなおさら、OB/OGの顔色が気になってしまいます。その対象の多くは昭和生まれの頑固でこわいおじさんたちです。

 

それでも、幹部は勇気をもって目標である昇格のための改革を推し進めなくてはいけません。

 

目標達成のために、本当に必要なことを残し、不要なことは捨てなくてはいけません。なぜなら、本当に必要なことに活動を集中させることが昇格への近道だからです。期間は一年しかありません。

 

もちろん、必要に応じて変えた理由を説明できなくてはいけません。大丈夫です。ちゃんと論理的に考えれば説明できます。

 

例えば「義務化された練習中の声出し」です。

 

ここでいう声出しは、順番待ちをしている時やボール拾いをしている時に課せられる「ファイトファイトォーッ!!」といった類のものです。一年生のみに課せられている部も少なくないかもしれません。

 

声が小さい!一年声出せッ!!

 

そう怒鳴られて嫌な思いをしたことのある選手も少なくないかもしれません。

 

先に明言すると、私は練習中のこの手の声出しを義務にする必要はないと考えています。

 

ただ、それが読者のみなさんが所属する部にとって本当に必要のないことかは名言できません。結論づけるのも、その結論にともない部を改革するのも、当事者であるみなさん次第です。

 

是非、この先の話を参考に考えを深めて、より良い部を目指してください。

 

声出しを義務化する理由

 

まず、練習中の声出しを義務化する理由、メリットを考えてみたいと思います。それは主に以下と考えられているのではないかと想像しています。

 

  • 部に活気が出て団結力が高まる
  • 部の空気が引き締まる
  • 辛いことを乗り越えられるほどテニスへのモチベーションの高い部員だけが残る
  • 大学のリーグは団体戦であり、試合当日は応援があると自校選手の心の支えになるため普段から声を出しておく

 

次に、これらを疑ってみたいと思います。本当にそうでしょうか。あるいは、本当にそれがいいのでしょうか。

 

その活気は本当に必要か

 

そもそも、部の活気は昇格するために必要不可欠な要素なのでしょうか?

 

私はそうは考えていません。昇格に必要不可欠な要素は実力のみです。

 

どれだけ活気があっても、実力がなければ昇格はできません。逆に、キリオス選手のように、一般的にふざけていると言われている選手しかいなくても、実力があれば昇格できます。

 

個々人が実力を上げようとする真剣な空気は必要ですが、活気は本当に必要なことではありません。

 

活気をつくるために、実力向上を犠牲にしてはいけません、実力者のやる気を削ぐことがあってはいけません。

 

何より、練習中の声出しは、練習の質を落とします

 

理由は簡単です。声出しに意識が向いているということは、その瞬間はテニスのことを考えられていないということです。部活中は自分の実力を上げることだけを考えなくてはいけません。

 

順番を待つ時間もボールを拾う時間もテニスのことを考える貴重な時間です。一生懸命声を張り上げても実力は上がりません。

 

一方、チームの団結力は必要です。

 

しかし、チームの団結力を高める効果的な方法は、本当に練習中の声出しなのでしょうか?

 

定期的なミーティングでの意識合わせや日常的な会話、勝ちたいという気持ち、対抗戦で応援する姿がチームの団結力を育てるのではないかと私は考えます。

 

 

適切なタイミングで声を出せば空気は締まる

 

声出しを義務化しないと空気がダラける、チーム全体の気持ちが弱まるのではないか。そう心配する人もいるかもしれません。

 

もちろん、練習中に「声を出したらいけない」というルールだとしたらそうなります。お通夜のような空気で練習をするべきではありません。

 

私が主張したいのは、無駄な声出しはやめましょうという話です。必要な声出しまでやめてしまってはいけません。

 

必要な声出しとは例えば以下です。

 

「練習開始◯分前です!」

「◯分経過!残り◯分です!」

「1球目!2球目!3球目!…」

「お願いします!」

「ありがとうございました!」

 

そして何より、主将や幹部の振る舞い、実力向上への真剣な姿勢こそが部の空気を引き締めます。義務化された声出しが空気を引き締めるわけではありません。

 

辛いことに我慢できる人が実力者とは限らない

 

また、辛いことに耐えられるだけテニスへのモチベーションがある部員がテニスのポテンシャルを秘めているとは限りません。

 

実力向上に直結しない義務はむしろ実力者のモチベーションを下げ、実力者の離脱につながります。

 

ほとんどの人間が馬鹿ではないので「これ意味ある?なんでやらなきゃいけないの?」と感じているものです。実力者であればなおさらそれに敏感で、その感覚は正しいことが多いと私は感じています。

 

そもそも、もし「辛いことに耐えられるか」という発想から実施しているとしたら、それは体罰です。

 

昔は教育的な意味をもっているため良いとされていた体罰ですが、現代は違います。肉体的(または、精神的)な苦痛を与えてその人のためになることはありません。

 

応援は大事だからそのための時間は別にとる

 

最後は応援についてです。団体戦である大学のリーグにおいて、応援は重要です。応援が大きなチームの選手は、それを力に変えます。試合本番、どんなに難しい場面に置かれても、チームの応援があれば前向きな気持ちでプレーをしていけます。

 

また、応援には各校特有のコールがあります。これは本番までの間に練習しておく必要があります。息が合わないと成立しません。

 

しかし、やはりこれらも普段の練習中にやることではありません。実際の対抗戦の時や合宿、練習後などでそのための時間をつくり練習するべきです。

 

そもそも、応援は気持ちの表れです。声の大きさも大切ですが、何より自校の勝利を願う気持ちを部員個々人が持てているかが何よりも重要です。

 

普段から目標への意識合わせをしていきましょう。

 

声出しの前に、実力を上げることだけを考え、実行しろ!正しいチームづくりで目標への最短距離を走れ!