トニ・ナダル著「ナダル・ノート」に記されたシンプルなメッセージ
我が家はたまに小学生の息子と妻の3人で本屋に行きます。本屋ではそれぞれ別行動。読みたい本を読みにいき、ほしければ買うというスタイルです。
先日、家族で本屋に行った際に私が見つけたのが、ナダル選手の叔父でコーチのトニ・ナダル著「ナダル・ノート〜すべては訓練次第〜(東邦出版)」です。
今回はこの本に記されていることで、私が解釈した内容について書きたいと思います。これはあくまでも私の解釈であり、実際とは異なる部分もあると思うのでその点はご理解ください。
指導者としてのトニ・ナダル氏の考えと私の考えは本質的には同じでしたが、表面的な部分は異なることも多くとても勉強になりました。とはいっても、私はこれを読んだ今、トニコーチのような言動や振る舞いをするかと問われれば、同じようにはしないでしょう。そこはそれほど変わらない。
いや、熱を帯びる機会は確実に増えていますが。特に息子に対しては(これは悪い方に転ぶ可能性も高まっているので注意しなくてはいけないと考えていますが)。
また、大学の選手たちや息子に伝えていかないといけないことについては、私にはまだ不足していると気づくことができたので、言い方は違えど、伝えていくことは増やしていこうと考えています。
さて、本題に入る前に、特にみなさんの関心が集まるであろう、叔父トニと少年ラファエルの人物像や関係について触れておきます。
叔父トニは超厳しく超こわいコーチ
まず、叔父トニについて。一言で言うと超がつくほど厳しい人です。それは、目標や目的、夢を持たずに生きている多くの人にとっては理解不可能で、ただただこわい人に映るかもしれません。家族を除く誰にとっても近寄りがたい存在だったことが容易に想像できます。
言動も嫌味を込めることが少なくなく、「俺から言わせればそんなものは◯◯だ」と上から目線で、相手の意見を必ず否定することからはじめる。そんな人物です。
それは誰に対しても変わりません。もちろん、甥のラファエルに対しても。
これらは本人が本書のいたるところで書いている他、76、116、120ページに収録された側近の仲間たちが語るトニ像にも書かれています。
もちろん、理不尽に、ただただ感情的に怒鳴りちらすバカな大人とは違います。そこには確固たる信念と、愛情があります。
以下に叔父トニの厳しさがわかりやすく現れているエピソードを本書より抜粋します。
2010年はとくに深刻な問題が重なった年で、ラファエルは足と膝の故障に苦しんだ。(中略)
こういう状態になったとき、コーチや周囲はほぼ確実に慎重な態度を取り始める。やたら寛容になり、選手を甘やかそうとする。つまり、困難をもたらしている原因を避けようとするのだ。
私はその正反対のことをした。そもそもこういう場面では、必要以上の繊細さこそ有害である。非生産的だし、幼稚ですらある。(中略)
「なんだ、何か問題があるのか?」
私は冗談を言ったつもりはなかったし、あちらもそんな冗談で返せる状態ではなかった。そしてラファエルの返答は本当に問題が深刻であることを浮き彫りにしていた。「トニ、問題があまりに多すぎて数えられないくらいだよ」
熱と怒りを込めて次の言葉を何度となく繰り返した。「そんなの今までずっと、いくらでもあったことだろう、ラファエル。問題があるのは別に目新しいことではない。問題が難しいのも、どこかが痛いのも別に初めてではないだろう。世の中そんなものだ。今の状態で試合に出るかどうかはお前の勝手だし、別に家に帰るのもお前の勝手だ。好きなようにすればいい。だが、その不機嫌なツラだけはやめろ。もしお前が戦うと決めるなら、まともな態度で戦え。俺の前でその不機嫌な顔だけはやめろ。もし棄権するなら、そうすればいいが、マジョルカに戻っても楽しいことは何もないぞ。お前自身がな」
その後の数時間、それから更衣室で、次の日にも私は、すでにラファエルが長年知り抜いているはずのことを繰り返して説き続けた。(中略)
数日後、日曜日の午後に、ラファエルはフォロ・イタリコで5度目の優勝カップを獲得した。1週間にわたる本当に苦しい状態を経て、決勝でダビド・フェレールを下したのだ。
224ページより
少年ラファエルは異常なまでに黙々と取り組む子
当たり前のことですが、トニ・ナダル氏のやり方がすべてのジュニア選手にとって最適な手段という訳ではありません。
選手によっては、このやり方ではその可能性の芽を摘んでしまうことも考えられます。
少年ラファエルの性格と叔父トニの指導法の相性がよかったという側面は無視できません。
逆に、トニ・ナダル氏が偉大な指導者と言われるだけの結果を残せたのは、教え子がラファエル・ナダルという特殊な少年だったからではないかとさえ考えてしまいます。というのも、厳しいだけならまだしも、叔父トニの言動の一部は子供の心を傷つけることもあっただろうと私は感じているからです。
さて、そんな叔父トニに育てられた少年ラファエルについて、私が本書を読んで解釈した人物像は以下です。
少年ラファエルは、普段は物静かで、超がつくほど純粋で、天使のように可愛いい子。しかし、こと大好きなスポーツ(主に、テニスとサッカー)になると闘争心むき出しとなり、それはさながら野獣の子。そう言っても過言ではないほどだったでしょう。
どれだけ鞭で叩かれようが心が折れることはなく、言われたことに疑問を持つことがない。何よりも叔父トニの助言はすべて正しいと信じ、「そうか、ならやろう」と受け止める。それをやり切れば自分の目指す選手像になれると信じきって走り続ける。そんな少年です。
もちろん、我慢することもあったとは思いますが、「我慢強い子」という表現は違います。
ただただ、愛するテニスを極め、強くなりたい。何よりその気持ちが異常に強い子です。そのためには時間を無駄にしたくない。叔父トニの言う「必須事項」を黙ってひたすらに、黙々と実践したい。我慢よりも、その気持ちの方が強かったのでしょう。
必須事項とは、なりたい自分の将来像になるためにやるべきことです(詳しくは本書56ページ参照)。
スポーツに対する情熱、こうなりたいという強い気持ちがある上に、超純粋なために、叔父トニに良い意味で洗脳され、毎日のように限界の壁を突き上げ続ける選手になったのだと解釈しています。
トニのシンプルなメッセージ「必須事項をやるかやらないか」
前置きが長くなりましたが、最後に、本書から強く伝わってくるトニ・ナダル氏のメッセージについて書きたいと思います。
叔父トニが少年ラファエルに言い続けたことをわかりやすく言い換えると以下です。
「誰にでもわかる必須事項を徹底的にやれ。それ以外になりたい自分の将来像になる方法はない。だから、どんな困難があってもやり続け、そしてやり切れ」
もちろん、これ以外にも重要なことが書かれていますが、私はこれが叔父トニが少年ラファエルに伝えてきたことのほぼすべてだと解釈しています。
そして、少年ラファエルには、これをやり切るだけの「こうなりたい!」という強い想いがあったということです。
以下は、これらの解釈に関連する本書の抜粋です。
私の世界観とテニスへのアプローチの出発点は、徹底して単純明快さを求めることだ。ネットの向こう側の対戦相手がいない地点にボールを打ち返す、それが目的であるスポーツを複雑に考えすぎてなんになるというのだ。そこに複雑な説明を加えるのは、私の流儀ではない。私がつねに意図するのは、単純明快な分析をほどこし、最短距離の道を求めることなのである。
96ページより
甥の結果が振るわないときは、原因として見定めて変えるべき部分を探った。サービスがよくないなら練習で改良し、リターンが冴えないならリターンを練習するしかない。それくらい単純な話なのだ。
114ページより
「成功の90パーセントは、まず強く求めることだ」
求めるだけというのはまだごく小さいことに思える。だが、大部分の人にとってはこれが最も重要な要素のひとつだ。
128ページより
ある日、私はマナコルのテニスクラブで、ラファエルが幼少時代に一緒に練習した子供の父親と久しぶりに会った。その父親が私に声をかけてきた。「トニ、あんたはいろいろなことを知っていたよな」
私はこう答えた。「私が知っていたことは、我々全員が知っていたのと同じだよ。知っていることは、あんたが知っていることと同じだ。ただ、私は実践しただけなんだよ」
誤解しないでほしいのは、私が今までやったことすべてが正しかったという訳ではないということだ。そんなことはありえないし、むしろ間違うことのほうが多かっただろう。そうでなければ、自分を過大評価してしまうことになるではないか。
176ページより
私が繰り返し伝えたのは、やることと、正しくやることのあいだに大きな違いはないということだった。
226ページより
皆さんも是非、買って読んでみてください。
要は、やったか、やらなかったか、それだけだ!